下町浅草で発生した究極のデフレ

ご紹介に与りました商学部4年の波塚です。

前回の中島君の日記に、我々4年生が新歓で“リクルーティング戦略”を策定及び実行したと書いてありましたが、少なくとも私自身は至って普通に、むしろ何も考えずに新歓活動を行っておりました(私が無能なだけかもしれませんが……)。

2年前のことなのでうろ覚えですが、他団体と異なり新歓ノルマ(?)をあまり考えなかったことが転じて、中島君の獲得に繋がったのだと思います。

さて、ゴルフについて何か書こうと試みたのですが、楽しいゴルフの思い出を探すと、3月まで遡ってしまいますので、日記の本分に即して最近の出来事を語りたいと思います。

突然ですが、私の地元は浅草です。浅草と言われて、皆さんは何を想像されるでしょうか。

浅草寺? スカイツリー? それともThunder Gateでしょうか?

多くの方がこの辺りを挙げられるでしょうが、地元の民に言わせると、今の浅草は歌舞伎の街でございます。右を見ても歌舞伎。左を見ても歌舞伎。台東区に歌舞伎座が移転してきたのかと疑うほどに。

ネタを明かすと簡単なもので、商店街のシャッターに歌舞伎のイラストが描かれているため、先述の有様を呈しているというわけです。

しかしまぁ、何も描かずに晒していれば、石畳に梅雨空、両脇にシャッターと、四方八方灰色尽くしになりますから、浮世絵で固められた方が彩り豊かで素敵ですね。

浮世絵といえば、その語源は“憂き世”であり、これはすなわち“辛い世の中”という意味です。こう考えると、浮世絵で埋め尽くされた浅草を浮世絵として描けそうな気がしてきます。

少しこれを傾けて話を続けると、どうも最近はメディアの中にメディアの姿をよく目にします。テレビ番組の中にYouTubeの動画、あるいは過去の番組など、マトリョシカ的な創作物が私たちの前に姿を現しています。一次的なモノを作り出せない状況になると、何かを引用して創作することを求められるという訳です。

その是非は置いておくとして、ここで重要な気付きが一つ。

浮世絵の中に描かれた浮世絵は、原本の鮮やかさを保ち得ません。これは芸術の土俵であれば許されそうですが、学問の土俵では勝手が違ってくるはずです。私もレポートを作成する際には参考文献を用いますので、その表記や引用には気を配ろうと思いました。

……これは4年生が言うセリフじゃないですね。

――閑話休題――

さて、いよいよ本題です。

ある日、私が商店街を歩いていると、鉢巻をしめた活きの良いおじさんが声を張っていました。大工の源さんは実在していたのかと、私は半ば驚きながら通り過ぎたのですが、いつまで経っても声が遠ざからないので、不審に思って振り返ります。

「お客さん。買っていきなよ」

「客に見えます?」

いや、どう見ても客じゃないだろうと。ドスルーしたんだから、察してくれよと思うのですが、大将は私を客に仕立てたいらしく、同じセリフを口にします。

「焼きそば買っていきなよ! 500円だよ」

「いや、それ祭り価格じゃないですか。買いませんよ流石に」

私の反応を見ると、大将は顔をしかめ、渋々といった様子でもう一つ乗せました。

「お好み焼きも付けるよ。500円だよ」

それに釣られて踵を返し(既に術中)、大将と向き合います。周囲に鉄板を扱う飲食店は有りません。つまり、この大将は歩き売りをしているということです。一橋の文化祭でも、部員に販売ノルマを課して歩き売りさせる団体は有りますが、大将は彼らと全く同じ格好をしていました。底の浅い段ボールに紐を通して首から提げる。いつかの文化祭で見た販売スタイルです。

「嫌かい? じゃあもう1つずつ付けるよ。4つで500円だ。家族と一緒に住んでいるかい? よし、じゃあもう1つだ」

5個500円という凄まじい暴落ぶり。叩き売りは浅草の盟友、同志上野がアメヤ横丁の専売特許なはずですが、それを踏襲したかの如き値下げでした。

これには流石の私も折れて、というか気圧されて、財布を取り出し代金を払います。すれ違いに渡された商品はずっしり重く、店の苦しさを端的に表していました。

「大丈夫なんですか?」

聞くと、大将は何でもないかのように答えます。

「もう厳しいし。多分ダメだね」

「それでも続けるんですか?」

「続けるしかないよ。辞めたらお客は来ないからね。二度と来ない」

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この出来事から一月経ちますが、未だに彼の言葉を思い出します。浅草の飲食店は明らかに儲かっておらず、状況が改善する保証も有りません。何が彼をあそこまで頑張らせるのでしょうか?

恐らくは、食べてもらいたい、喜んでもらいたいという考えが根底に存在するはずです。

そうした視座に立ってみると、私の地元、我々の地元にのれんを掲げる飲食店が、とても大切に思えてきます。

コロナ禍において、私の地元は大きく模様を変えつつあります。皆さんの地元もそうだと思います。街の景色を守るために利用、あるいは出前を注文してみてください。それが地域のお店を守ることに繋がるはずです。

ゴルフと関係の無い話題で大変恐縮ではございますが、伝記の年表に補足として書かれる“当時の世界”的な存在として扱っていただければ幸いです。

次回の日記は、共に酒精を愉しんだ我が盟友、藤原君にお願いします。

しばらく!