3300回

横山さんからバトンを受けました、3年の大吉です。

4年生のバトンが終わってしまいましたので、ここからは下級生で回していきたいと思います!

 

3300回。

これは私がこれまでに歩いたであろう大学通りの回数です。

中学1年生から通学してる国立ですが、残すところあと1年になってしまいました。そんなわけで今日は私と国立の思い出について書かせてもらおうと思います。ゴルフのお話は一切出てきませんが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

私の母校は一橋大学から大学通りをさらに10分程歩いたところにある桐朋高校です。中高一貫の男子校で、制服がない、校則もほとんどないなどとても自由度の高い高校でした。桐朋の(自称)ライバル校といえば、桐朋と大学通りを挟んで向かい側にある国立高校です。国高は一橋大学の東キャンパス側に、桐朋は西キャンパス側にあるのですが、噂によると国高の生徒は通学の時、一般の生徒は大学通りの東側を歩るくのに対し、カップルは桐朋のある西側を歩くらしいのです。男子校の私たちを横目に通学していたと思うと、到底許すことはできませんね。

 

そんな大学通りがある国立ですが、国立を訪れたことのない友人に、「国立ってどんなところ?」と聞かれると、私は必ず「桜のきれいな街だよ」と答えています。私は春になるとその花を満開に咲かす大学通りの桜が大好きです。春休み明けの4月、久しぶりに国立駅に降り立つと、まず美しい桜が目に飛び込んできます。するとそれまでなまっていた体が急に目覚めたかのように、シャキッとした気持ちになり心が入れ替えられます。しかし、そんな桜が今危険な状態にあります。大学通りにある200本以上ある桜の木ですが、樹齢は70歳近くあり、衰弱している木も多くあります。現在はボランティア団体がこの美しいしい景観を後世に残そうと尽力されています。私も国立にゆかりを持つ者として何かできることはないかと考えなければいけません。

 ある街がその街らしくあり続けるのには相当の忍耐力が必要です。国立もまた時代の変化に飲み込まれ、昔からあったお店は流行りのタピオカ屋への姿を変えていきました。そして今ほとんどの一橋生が国立駅前にあった東西書店のことなど知らないように、無くなったお店はやがて人の記憶からも消えていきます。街は時代と共に変化します。数十年後、国立を訪れた際には、様変わりしているであろう街並みに悲観することなく、同じ「国立」を知る人と当時を懐かしがることとします。

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました! 次は会計の係を引き継いでくれた2年の岡野に回します!

 

大学通りの桜

昔の国立駅(1962年開業)

再建中の旧駅舎