ゆく河の流れは絶えずして

同期の大久保君から指名された中島です。

大久保君とは中学からの付き合いで、入部当初は大久保、安富と私で渋渋組(出身高校が由来)とひとまとめにされることも多かったですが、今はそんな面影もなく(?)お互い好きにやっています。

過去の部員日記を見ると皆さん何らかのテーマをもって文章を作っていましたが、読者の皆様にさして伝えたいテーマもないので、”徒然なるままに”文章を紡ぎたいと思います。

まず初めにタイトルについて、前回の部員日記のタイトルも古典の冒頭を流用していたので、古文オタクなのかと思われるかもしれないですが、そんなことありません。

ではなぜかと色々考えてみたのですが、多分キャッチーなタイトルをつけたいけど、自分の言葉でいい感じのものが思いつかないので、過去の叡智に縋ったのだと思います。

自意識過剰なので、自分でいいと思ったものに自信が持てず、結局自分でいいと思ったものが何か分からなくなる、だから世の中で価値のあるとされるものに依存する。

そんな自意識過剰な理由も思いつきましたが、多分過去を振り返ることを古典そのものと結び付けたり、高3のころの先生(古文担当)と結び付けたりしたのだと思います。

生徒からの人気も高く、博識な方で、中高時代の多くを酷評する大久保君もお気に入りの先生でした。

あとは私個人の話し方の問題だと思います。引用・オマージュしがちなしゃべり方です。よく言えば、海外の知識人っぽく、悪く言えばオタクっぽい。

結局オタクじゃないか、とタイトル一つで人柄って結構わかる気がするという話でした。

 

タイトル以上に人柄が出るのが文章ですよね。

そんな人柄を可能な限り抑えるビジネスメールなるものの存在を最近認知したわけですが、個性を抑えるビジネスメールも、個性を出す日記もどちらも難しいなぁというのが今の私の感想です。(ビジネスメールも十人十色だとか、そういうもっともな話はおいておきます。)

これらの難しいところは自分の考えていることをどう言語化するのかにあると思います。

ビジネスメールの場合はある程度「型」があるらしいので、慣れればそれなりに書けるようになるらしいですが、日記はそういきません。

自分の考えや思っていることを言語化しようと思考を巡らせればそうするほど、自分の考えが深まり言語化が難しくなります。

結局落としどころで諦めるか、支離滅裂なところで諦めるしかないのだろうと、ここまで来て雑に考え、支離滅裂な文章をお届けしています。

そんな文章の特徴はLINEをはじめとするSNSでよくみられるらしいです。

過去に酔った同期に「中島のLINEは長くて雰囲気を壊す(意訳)」といわれ、まあまあ傷つきました。

ちなみに実際に長いです。SNSのように短く、読み手に判断をゆだねるような文章は不得手です。言いたいことが伝わっているか不安なので。個性を悪く言うな!

 

さて、前回、今回と徒然なるままに文章を書いていたらもう次回はないらしいです。

その気になればまだまだ書けるのですが、これ以上自分の考え・言葉を皆様にお伝えするのはなんだか恥ずかしいですし、恥ずかしいじゃすまないことを無自覚に書いても困るのでこのくらいがやめ時な気がします。

鴨長明さん曰く、ゆく河の流れは絶えないし、しかももとの水ではないそうなので、私の人生で一橋大学体育会ゴルフ部員として日記を書くことはもうないでしょうし、部員関係者全員と人生を交えることもないでしょう。

この事実に「無常だなぁ」という方丈記を知って一時間くらいの感想を持ちながらも、あんまり悲しいなぁとはならないのが今日この頃です。どちらかといえば、自分が、そしてみんながどんな人生を歩むのか楽しみだからかもしれません。

人生が無常なら無常なりに移ろう世の中を楽しみたいと思います。

またどこかで。

 

次回は鉄君にお願いしたいと思います。